COLUMN
コラム

厚生労働省から『ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~』が公開になった。150ページもの大作だ(今、読んでいる途中・・・)。このハンドブックでは、10年前の『ひきこもり支援ガイドライン』から大きな転換がされている。まずは「医療モデルから社会モデル」になっていること。ひきこもり状態にある人を“まず最初に”精神科へ連れて行こうとすることへの大転換だ。いや、身体症状が出ている人はすぐに医者へ行った方がいいと僕は思う。眠れないとか、食べれないとか。幻聴、幻覚があるとか。けど、医者に行ったからといって、全ての人がひきこもり状態から脱するとは限らない。むしろ、社会が、地域が、誰かが彼らに伴走することの方が大事なのだ。その「誰か」とは福祉に係る人の仕事だ。専売特許と言ってもいい。そして、このハンドブックでは、過去に『自立』という言葉が多用されていたのに対し、これがほぼ『自律』に変わっている。これはとってもいいことだ。『自立』というと「働くこと」「稼ぐこと」に直結する。多くのひきこもり状態にある人にとって、働くこと、就労はとてつもなくハードルが高いものだ。いや、分厚い壁だ。医者へ行くこと、働くことという短絡的な支援では彼らが抱える本質的なニーズにはたどり着けない。「ずっと家にいるくらいなら外に出よう」とか「何もしてないんだから働け」というある種バイアスが含まれた社会通念を押し付けるだけの活動は有意義な支援とは言えない。だから僕も数年前から講義では『自律』という言葉を使ってきた。「自律=自分のことを、自分で決めること、自分ですること」と解釈している。これからの人生をどう生きたいか、誰の助けを借りたいか、助けなんていらないのか、朝何時に起きるのか、歯磨きはいつするのか、どのくらいの間隔で髪を切るのか、どこのコンビニに行って何を買うのか、とまあそんな感じが『自律の行動概念』だ。自分が生きたいように生きればいい。そして、その途中で支援なるものが必要になったら、自分で支援者を選べばいいのだ。自分に合いそうな支援者を。医者もそう。人生を歩む過程で医師の診察が必要で、診断を受けた方がその後の人生にとって有意義だと判断したら行けばいい。自分がこう生きたいと考えることと、それが叶わないことの差異が「生きづらさ」になる。もちろん、ぜーんぶ自分の希望通りにはならないのが社会というやつ。でも、そのギャップを小さくすることはできる。自分だけでできないときは、誰かの力を借りたらいい。福祉の人たちも頑張っている。