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COLUMN
コラム

普通って何なんだ?
vol.18
DATE:2026.03.28 WRITER:村山 賢

世の中には「ふつー」と呼ばれる目に見えない道がある。義務教育が終わり、高校、専門学校、大学を卒業して、就職をする。30代になると所属する組織のコミュニティーの中で共有されている何かしらの役職名で呼ばれることになり、その分給料も上がる。自然と責任やノルマ的なものが増え、ときには望まない役割が与えられることもある。一方、その「ふつー」の道を歩まなかった人もいる。自らの意思で歩むのをやめた人もいる。その道の途中で休んでいる人もいる。「今の若者は出世を望まない」とか「月収15万円くらいで、ミニマムな暮らしを選ぶ傾向が強い」なんて、それが珍しいことのように伝えるメディアもある。僕も若い頃は「ふつー」の道のど真ん中を歩んでいた。その道の途中に設置された「階段」を必死に登ろうとしていた。上へ、上へとあてもなく。いや、それはそれで立派なことだと思う。「ふつー」の道を歩むことって、とても大変なことだから。だから「ふつー」を否定しているわけじゃない。

先日、ある20代の女性から「普通の生活が送れないことがツラいんです。普通にすらなれない自分なんていない方がいい。」なんてことを言われた。ここで思う。「ふつー」とは何なんだ?『「普通」とは特に変わったところがなく、世間一般でよくありふれている様子や標準的な状態を指します。特定多数の環境や経験値に基づく基準値や平均を意味する。』とAIが答えてくれた。要するに、マジョリティーの中にいて、何かに所属をして安心感を得られている状態ということか。それはなかなかハードルが高い。強き人なら「ありふれた人生なんて送るな」って言いそうだけど、ありふれた風景の中で、ありふれた存在になるのだって大変な時代だ。病気や障がい、人と違う感性を持って生まれてしまったらなおさらだ。『自分らしく生きよう!』という「ふつー」から脱することを是とする標語。『人と違ってもいい!』というその準備が整っていない社会にバラまかれた言葉。それに傷つく人もいる。「ふつー」じゃない人生を歩むことはとても過酷で、勇気がいることだ。「ふつー」という生き方を選べない人だっている。「ふつー」なじゃい自分を消化するのだって大変なことだ。「ふつー」という言葉を使わないことにする。「ふつー」の正体が分かるまで。