COLUMN
コラム

僕がこの活動を始めた頃、ひきこもり状態が長期化し、所謂「8050のご家庭」が多くなってきたと言われていた。あれから10年。あっという間にときは流れ、今や「9060のご家庭(親が90代、お子さんが60代)」という状況に置かれた方々が多くなった。自然と僕のところにもそんな方から相談をいただくことが増えた。みなさん長い苦しみに耐え、大きな不安や葛藤の中で生き抜いてきた苦労人ばかりだ。親が80代、90代になればご本人も焦るし、親も焦る。親からしたら「自分が亡き後、あの子はどうなるのか?」という気持ちが起こる。とても自然なことだ。そして、それはご本人も切実に感じていることだと思う。僕はこれまで何人かの30年以上ひきこもり状態にあった方と会ってきた。とてもいい方ばかりであった。「これまで税金を納めてこなかったのに生活保護を受けるなんて申し訳ない」と言う方もいた。「今さら社会参加なんて無理ですよ」と言う方もいた。ひとつひとつの言葉に重みがあるし、納得もする。人生の先輩方に「これからは生き方を変えてください」なんて口が裂けても言えない。でも『生きて』欲しいのである。恥を忍んででも『生きて』欲しいのである。『生きる』ことに何の価値があるのか?明確な答えはないが、それは生きていなければ分からないこと。結局、苦しかったと終わる場合もあるかも知れない。もしかしたら、『生きた』価値を発見できるかも知れない。それも、生きてみないと分からないことだ。これまでの生き方を180度変えるなんてことは無理だ。僕だって無理だ。でも、1度くらいだったら変えられる・・・かも知れない。その1度はとても大きい。1度の先にはこれまでと違う景色があるかも知れなくて、1度の先には相談相手がいるかも知れない。1度の先にはこれからの人生に必要な何かがあるかも知れない。「かも知れない」ばかりで申し訳ないが、『生きる』というのはそんな「かも知れない」の連なりだ。病気になるかも知れない。交通事故に遭うかも知れない。地震で家がつぶれるかも知れない。それで、死んでしまうかも知れない。野良猫が家に住み着くかも知れない。スーパーでコロッケが20%引きになっているかも知れない。寝起きの気分がいいかも知れない。明日はいい天気かも知れない。意外と猫がかわいいかも知れない。生きていてよかったと思えるかも知れない。そんな日が来るかも知れない・・・、くればいい。
